「皐月」という漢字、書き順わかりますか。
調べました…。
境内も春から初夏のうつろいに。
山の神、田の神が降りて来て下さり、桜を始め境内の花木も一気に満開!
皆さまはどちらでしょうか?
ほぼ「もう」でしょうか。
日中の気温も徐々に上がって参りました。
そろそろ今年の目標に向けての活動開始、そうしましょう!
本年もよろしくお願いいたします。
早いもので正月も5日です。
今年はどんな一年になりますかね。
お賽銭を入れ、鈴を鳴らす、頭を下げて手をパンパン。
老若男女、年頭はこの光景をたくさん目にします。
どうかご健康で平穏に過ごされますように。
宮司
今年も残すところ1ヶ月を切りました(^^;
毎年、年末年始に向けてやりたいことの半分も出来なかった、の繰り返し。
なので、今年は最低限これだけは!と致します。
「神社」であれば、
・境内と社殿の掃除(2日間)
・注連縄の取り換え(1時間)
・初詣のお守りや縁起物の準備(1日間)
「家」であれば、
・玄関の内外の掃除(1日間)
・神棚の掃除とおふだの取り換え(1時間)
「人」であれば、
・心の大掃除?
宮司
7日、令和4年立冬です。
「木枯らし」の季節で、神社の境内では落葉がピークを迎えております。
そう昔ではない頃、農家の方々が落ち葉を集め畑の肥料にしました。
ですので、境内も誰となくきれいに掃き清められていましたが、
今はそのような様子をみることはなくなりましたね。
あちこちで焚き火の煙が立ち、おじいちゃんやばあちゃんが、
学校帰りの子ども達に焼き芋を食べさせる、そんな事もありましたね。
冬です、寒さに負けぬように。
宮司
夜が長くなる月、長月。9月は他にも地域によって様々な呼び名がありますね。
残暑も残り天候も不安定な日もあるでしょうが、夜空を眺める時間も大切にしたいですね。
宮司
「ひとりごと」もすっかりご無沙汰となっております。
ここに来て一気に生活が戻るというか、コロナ過にあって活動的な出来事が少なくなっていたので、急にあれこれ始まると頭も身体も鈍くなっております。
神社境内はすっかり夏の装いです。今も管理委員なる氏子有志の方々の整備が続いております。これから夏の花も見られるようになると思います。
梅雨も明け一気に暑さ倍増ですが、参拝で心身をリセットして今年も元気に折り返しましょう!
宮司
春はお別れの季節、始まりの季節…
今日から時間を自由に過ごされる方。
今日から新社会人、新入生となる方、などなど。
応援されると、うれしくなって頑張れるものです。
そんな「ひとこと」を実践してみましょう。
宮司
今年も2ヶ月が過ぎようとしております、早いものですね。
とはいえ寒さが続く日々、暖かな春の日差しが待ち遠しいこの頃です。
じっと耐えていた草花も動物もそして私たちも人間もそろそろ活動開始です。
年度納めで新年度を迎える3月。この月を大切に過ごし心のリセットをしましょ!
宮司
今年は年明けから寒波や強風が続いています。
昨年はまったく降らなかった雪でしたが今年はもう何度目の雪かきをしたでしょうか。
とはいっても豪雪地方の比ではありませんが。天気が良ければ2・3日で融けてしまいますが、それでも今年は寒い。
近年、年明け直後の初詣に訪れる方々は随分と少なくなりました。
そう、今は日中の参拝が多くなりました。夜はアルコールも入っていますし、
夜は眠いし寒い…。
以前と比べ(私基準で昭和前半から半ば生まれの感覚で)、人が寒さに弱くなっているのかもしれません。今の家って高断熱・高気密で暖かいですよね。我が家も20数年前に建て替えましたが、それまでの古民家は隙間風は当たり前。コタツに入っている足だけが暖かく、家の中でも吐く息が白かったです(泣)
反射式のストーブも、天板で焼く・煮る・温める、冷たくなった手や足をギリギリまで寄せて温める、このくらいの機能でしたし(笑)
それでも、夏は涼しかったですよ昔の家って、懐かしいですね。
宮司
今だから出来る事をしたいですね。
田村神社では今後50年後を見据え、境内に花木を植えようと思います。
ご自宅で不要?な花木があれば是非神社に植栽させてください。
一年中楽しめる、そんな境内になればいいな…(^^;)
宮司
夏休みの思い出・・・今年は初の「こども縁日」を開催しようと思っています。
さて、何から始めよう(^^;)
宮司
コロナ禍の中、皆さんの生活も大きく変わったことと存じます。
当地のような田舎では、町内会や団体の「集会」は大切な地域交流の場でありました。
神社もまさにその場であり、特にお祭りの打合せや反省会、直会はワイワイとやっていました。その中で暮らしに役立つ事や生きがいが生まれる!そんな「集会」があったのです。
過去形ではなく現在進行形であることを願いますね。
今は我慢の時、この時だから出来る事があります!頑張りましょう!
宮司
東日本大震災より10年の月日が過ぎました。
福島県に住む者とすれば特別な日でもなく、節目でもありません。
沿岸部に足を運べば、帰還困難区域を通れば分かります。
平成23年3月11日という日は余りにも多くの方々の尊い命が理不尽にも失われました。
心静かに慰霊の誠を捧げ、あの出来事を教訓として学び後世に伝えなくてはなりません。
私たちが出来る事は・・・しっかりと生きる事です。
この年度を以て人生の節目を迎える方、本当にお疲れさまでした。
又卒業された皆さまおめでとうございました。
共に次の目標、次の道に幸多からんことを!
当地ではそろそろ春祭り、田畑作業も本格的に始動致します。
コロナ禍で祭の形は違っても祈る気持ちに変わりはありません。
自分の心だけでも豊かに過ごしたいものです。
宮司
天候も穏やかに!とは言い難い寒さと、参拝者少ない中で午前零時の太鼓をうちました。
コロナ禍にあり早期に分散参拝を呼びかけた事もありますが、
例年夜の初詣に訪れる人が減ったように思います。
今や、すぐ近くでも車移動が当たり前の地域。多くは歳迎えに酒はつきもの、外は寒いし酒を飲んだから初詣は日中にしよう…。こんな感じでしょうか。確かに夜中より日中の参拝が多くみられますね。
ともあれ、皆さま方のこの年のご健康とご多幸をご祈念申し上げます。
いい年にしたいですね。
宮司
昨年は新型コロナウイルスの蔓延により、私たちの日常生活そのものを大きく変えてしまいました。
それぞれが我慢の日々であり、それぞれに辛い年でありました。
あれも出来なかった、これも出来なかった・・・二度とない大切な日、大切な記念の日を静かに過ごしたことでしょう。
今年はどんな年となるのでしょうか。
こんな時でも一年の始めには夢と希望を描きたいものです。
初詣は、今年も新しい命を頂いたことへの感謝と、今年をどう過ごすかの誓いの場でもあります。
当神社は年間を通し混雑する神社ではありません。
高台にあり、田舎の原風景が望めます。ご自身のお心に「清らかな気」を与えてはいかがでしょうか。
寒さが増しております、暖かい格好と時間に余裕をもってご参拝ください。
令和3年1月1日 宮司 拝
コロナ禍…大変な世の中になりましたね。
早期終息をただただ願うばかりです。
それでも時間は止まることなくもう正月ですって!
この時期になると問合せが多いのが「不幸があったけど正月できる?」です。
その地域によって慣習があるのでしょうが、当地は…昔は家族や親族に不幸が生じた場合、心の痛みや悲しみを乗り越える時間を喪中として1年間を目安に地域の行事(特に冠婚葬祭)や近所とのお付き合いを遠慮して過ごしていたようです。当時は自給自足でしたでしょうからそれが出来たのだろうと思います。
ただ、現代にあっては実の親であっても葬儀が終わり1週間も過ぎれば勤めにも行きますし、特に四十九日や五十日を区切りに悲しみが癒えぬ中であってもこれまで通りに社会生活を営みます。先述したような生活をしている人はいませんよね。というより生活が成り立ちませんよね。
極端な例を挙げますが、1月や2月に不幸があり、四十九日や五十日が過ぎているからと春になれば花見、夏は家族旅行、冬には忘年会、でも喪中だから正月はしない、新年の挨拶はしない。ご関係も義理の◯とか。
「正月をしない=新しい年を迎えない=新しい年をとることができない」と繋がります。
正月をしないのではなく、まだ悲しみが癒えず新しい年を迎えるための心の準備が整わないので、我が家は1月15日の小正月や旧暦の正月に新年を迎える。とすればいいのではないでしょうか。
この考えをもって、喪中なのか、そうではないのか。喪中ではないのであれば年末に喪中を知らせる葉書を出す必要もなく普通に正月を迎えるべきで、喪中であればそれなりの生活をしなくては亡くなられた方に対し正直とは言えませんよね。
誰が決めるのでもなく自分で決めるものです。
以上より、私からアドバイスは「50日が過ぎていれば正月はできます」です。(宮司)
とある昼下がり、ふっと気配を感じて玄関を見ると…あれ?
遠巻きに見ていても動く気配がない…ちょっと近づいても動かない…もう少し近づいてみる…何か御用かしら?…もう少し近づいて「どうされましたか?」と声を掛けても動かない…でも良く見てみると右目に血が滲み痛々しい状況でした、怪我をして動けなかったのですね。一向に動けない小鳥、放っておく訳にもいかず、野鳥の会へ連絡の上、指示を仰ごうと思い、取り敢えず保護のため小さい段ボールを用意して底に新聞紙とキッチンペーパーを敷き詰め、ビニール手袋をしてソッと手のひらで包んだら、ウン○をして(汗)飛び立って行かれました。片目を失った小鳥、自然界で無事に生き延びてくれるといいのですが…。
ところで、この小鳥…なんという種類なのでしょうか?すずめで無いのは分かるのですが。
去る10月1日、4月より着工され着々と建設の進んだ合祭殿が立派な姿へと生まれ変わり、いよいよ竣功の運びとなりました。
9月より台風や天候の不順で雨が続き、天候が心配されましたが幸いにも天候に恵まれたこの日、各地区の代表の方々、又、高額奉納を頂いた方々をお招きし、神職3名そして約50名のご参列を頂き、夕暮れ迫る17時から「本殿遷座祭及び竣功奉告祭」が厳かに執り行われ、引き続き竣功祝賀会が盛大に行われました。
ここまで来られたのも、各地区の代表の方々、氏子の方々、崇敬者の方々のお力添えの賜と心より感謝致しております。
そして…御寄附を頂いた方々への記念品の一つ「日本てぬぐい」ですが、こちら既製品では無く、私がデザインさせていただきましたっ!!左上の模様は…よく見て頂くと鳥居の形になっております。私、個人的には気に入っているのですが、いかがでしょうか?今後の頒布や販売(?)は考えておりませんが…。
※写真はプライバシー保護のため、もざいく・ぼかし加工が施してあります、ご了承下さい。
田村神社社殿建て替え中の為、取り壊しが完了して間もなく5ヶ月が経過しようとしておりますが、未だ地均しの状態です。そんな中でも数百年もの間、毎年、変わることなくこの「8月1日」に行われる例大祭が今年も斎行されたのでした。
今年は仮社殿の前にゴザとブルーシートを敷き祭事が執り行われ、地元の六年生の女の子の3名の巫女舞奉納は、地べたにゴザという悪条件の中でしたが、彼女達は立派に巫女舞を奉納してくれました。
悪く言えば悪条件ですが、巫女さんの1人の親御さんに「この状態で舞うなんて、かえって珍しくて素敵ですね」と言って頂き、有り難く思うと同時に、物事も角度を変えてプラスに考えている親御さんに頭の下がる想いでしたし、自分もこうありたい…と。つくづく思いました。
二週間前の金曜日…夕食の準備中、首を振った瞬間、左後頭部のごく浅い表面部(?)に「ズッキーーーーーン」という痛みが走りました。以前から時々、似たような小さな痛みを感じる事がありましたがいつの間にか自然と治っていたのですが、今回は勝手が違いました。
絶え間なくズキズキ痛むのでは無く、電気が走ったように来る強い痛みに日常生活が出来ない程になってしまいました。とにかく痛くて、頭の血管が切れたのでは!?と思うものの、よく言うハンマーで叩かれてる…までの痛みでも無く…一晩様子を見ることに。
翌日、痛みでほとんど眠れぬまま迎えた土曜日、治まる気配の無い痛みにさすがに心配で内科にかかると…「混合型の偏頭痛」と言われ痛み止めと、肩凝りのお薬を頂きました。痛み止めが効いている時は大丈夫なのですが、きれると戻ってくる痛み…(泣)
さすがに血管が心配になって月曜日に脳神経内科で人生初のMRI検査をしましたが、異常なし(良かった!)…。やっぱり偏頭痛の専門薬を頂くものの、それも効かない(泣)
心当たりがあると言えば首、肩の凝り。最近は左肩がビリビリと痺れていたし…頭皮を触る・首を動かすでも「ピキンッ」「ズッキン」と痛むことが多かったので、もしや?と思い、鍼灸院で相談をして、鍼を打ってもらい首、顔の歪みも矯正してもらう事2回、なんと2回の鍼の後3日目で痛みがピタリと止まりました。…やっぱり首、肩の凝りによる神経痛だったのでしょうか…?だとしたら、肩凝りも甘く見てはいけません(泣)良い姿勢と、歯の食いしばりを気付いたら止めて、こまめなストレッチを心がけなければ…。
現在、痛みは無いけれど左後頭部に未だ残る違和感、いつ来るか分からぬ痛みの再来に怯えております(汗)
現代では誰もがもっている肩凝り、甘く見ないで早めの解消を強くお進め致します!!
私事にて失礼致しました…。
何かとナイーヴで細かい事が気になる、見た目も性格も父親にますます似てくる次男坊4年生。
震災当時の水道水の汚染や、熱中症予防が叫ばれる今日、園児、児童が水筒を持参し登園登校をするのは当たり前の風景になりましたが、これがまた結構面倒くさい…朝は3本の水筒に夏は冷たい麦茶、冬は暖かめの緑茶(飲料というよりは、インフルエンザや風邪予防のうがい用)を準備します。帰宅後はそれらのパッキンを外して洗う…面倒です、大きな声では言えませんがとても面倒なのです。でも世の中の保護者達は子供の為にと頑張っております。そんな中でも今日は初めての大失敗(汗)
次男が帰宅後「おかぁさん、麦茶ちょっと(←本人はこれでも気を遣った言い回し)苦かった!!」と。(またナイーヴが故のワガママを言っている…ちょっと位苦くても男の子でしょっ!我慢しなさいっ。)と心で思いつつ「そぉ」位で流しておりましたが…水筒の蓋を開けてビックリ!麦茶パックがそのまま入っているではありませんか!?朝の忙しさに次男の水筒だけ取り出すのを忘れていたようです…「ごめん!!!次男!!!そりゃぁ、苦くて渋いよね~(笑笑)」
阿久津、安原、横川、下白岩、白岩東部、白岩西部、南小泉、北小泉、堂坂、上舞木、下舞木1区~4区、そして、崇敬者の皆様より大変に貴重な御寄附又、各地区の総代さん、町会さんに多大なる御協力を頂き、いよいよ合祭殿が着工の運びとなりました。立派な銅板の背の高い屋根に本殿と社殿。2人の大工さん(総代長さんと氏子の若い大工さん)が平日、黙々と作業を進めて下さいます。
銅板のピカピカな輝きは新品の今だけですが、時を経て色が変わり味わいのある屋根になるのも又、楽しみでもあります。
合祭殿の取り壊しが終わり、すっきりしてしまった敷地ですが、そこに残された「鳥居」が、何故か以前からそこに建っていた事に気付いていなかった方も多い様で、口々に「いやぁ~立派な鳥居が建ったない(建ったね)。」と言って下さるのですが…「すみません、この鳥居、ずっと前から…私、嫁に来て随分(?)になりますが、その前からありました…(汗)」という会話が繰り広げられるのです。きっと、皆さんも経験があると思いますが、普段見慣れた風景でも、そこにあった建物が取り壊されると「あれぇ?ここ…何があったっけ?」と記憶を捜すものの、どうにもこうにも思い出せない…そんな感覚と同じなのでしょうか(笑)しかも、最近宮司が高圧洗浄機で鳥居の苔や汚れを一掃してしまったので尚更、新しく見えるのかもしれません。
去る3月26日17時、取り壊しを無事に終えた田村神社社殿の跡地で地鎮祭が執り行われました。
氏子さん、崇敬者の皆さん、そして社殿の建築工事をして下さる業者の方々、総勢約30名の方にご参列頂き、これから着工される建築工事の無事をお祈り致しました。実際に着工は今月頃(6月)との事でこの時点ではちょっと早めの地鎮祭のような気もしたのですが、氏子さんの手で解体を終え作業にあたって下さった方々の志気が高いうちに行いたいという気持ちと、地鎮祭後の直会ではその慰労を兼ねたいとの思いで、この日になりました。
うちの子ども達も当然参列したのですが、祭壇の設置準備中に気付けば余った笹を手に握りしめ三兄弟が楽しげに闘っているではありませんか!?なんと、チビちゃん(女の子)までも…「目でも刺したらどうするのぉーっ!」と一喝をしたのは言うまでもありません(汗)
そして無事に地鎮祭を終えた翌日(3月27日)、阿久津町内にある業者さんの資材置き場へ、氏子さんと共に実際に使用される材木(御用材)の視察に行って参りました。沢山の資材が置いてある中に「阿久津神社」と書かれた、どれも立派な材木が置かれており、この木達がこの先何百年もの間社殿として阿久津の氏神様と共にこの地域を見守って行くことになるのだな~っと感激し、視察を終えました。
遷座祭、解体祭を終えた4月11日。48年間雨風、そして東日本大震災を耐えた合祭殿の取り壊しが始まりました。
作業をして下さるのは地元の大工さん。きっと重機が来てあっという間に取り壊されるのだろう…と思っていたのですが、始まってみるとなんと4名の大工さんの手作業ではありませんか!棟梁さんは下舞木地区の神社の総代長さんで、日頃から大変にお世話になり、直会の席では宮司とお酒(御神酒というらしいですが…笑)を酌み交わし、私にも穏やかに気さくに接して下さる人生の大先輩。その姿しか知らない私には衝撃的でした…凄い…総代長さん…かっこイイ…屋根に登って他の大工さんに指示を出しつつ、手際よくゆっくり、でも確実に解体していく…手作業での解体が進み外した建材もチェーンソーで綺麗に切断して、丁寧に軽トラに積んで運び出して行く…。解体が済むと、測量(?)して基礎の為の溝もスコップ等で手彫り。そこにベニア板で型を作り、手でコンクリートを混ぜ、鉄筋の棒を埋めながらコンクリートを流し込む…。一連の手作業を見ながら「技術と経験」って凄いなと、棟梁さん(総代長さん)を改めて尊敬してしまいました。
我が家の自宅敷地内にある「合祭殿(ごうさいでん)」。この合祭殿は昭和43年に
・舞木「直毘神社」
・阿久津「田村神社」
・白岩「御嶽神社」
・安原「三渡神社」
・横川「菅布禰神社」
・下白岩「鷲神社」
・南小泉「国祖神社」
・北小泉「二荒山神社」
・堂坂「八幡神社」
合計9社のご分霊を祀った神社祈祷所で、明治維新百年の記念事業として各地の総意により建立されたとの事で、月毎の月次祭(氏子、崇敬者の繁栄祈願)を始め、「厄払い」「安産祈願」「お宮参り」「七五三」「車輌お祓い」等、現在に至る48年間祈りの場とされてきました、近年ではこれほどの神様をお祀った神社はめずらしいとのことで、そのご利益を求め県内外からの参拝も見受けられるようになりました。
(以上堅苦しくて申し訳ありません(汗))
ただ48年という月日の中で、雨風や地震、時の流れによる老朽化が目立つようになり、幾度と無く氏子さんや、宮司の手によって修繕がなされてきたものの、あまりの傷み具合に9社の関係神社の総代役員の皆様と相談し、神さま、そしてご祈祷に来て下さる氏子・崇敬者の皆様にも失礼の無いように…と、改築する方向に至りました。そしてご賛同を頂いた総代さん、各地区の氏子さんにはご寄附を募る事になるので大変に心苦しく、又、感謝してもしきれない思いです。
そして去る4月9日…満開の桜の下、合祭殿に鎮まる神様の引っ越し「遷座祭」が執り行われました。
各地区の代表の方に参列頂き、厳かに神様の引っ越し、そして引き続き社殿取り壊しの「解体祭」も執り行われました。それと同時に各地区の皆様より宮司の二級昇級に対する心のこもった御祝いまで頂戴し…有り難すぎて、言葉にならない程です。
その後の直会の席では改築賛同の御礼と、今後の各地区でご寄附を集めて頂く事をご苦労承知で改めてお願い申し上げ、懇親を深めさせて頂きました。
遷座祭では参列しつつ記録写真を撮影しつつな私ですが…必ず大切なシーンで何かが起こるのが子育ての醍醐味…今回はお祭りの最中、飽きてしまった3歳娘がお稲荷さん(やや坂道)で遊んでて境内で転がり、泣く寸前に救出!→なだめる→何とか泣かずに済む→大切なシーンを見逃す&撮影も出来ず(泣)でした…。
遷座祭に引き続き翌日には解体祭が執り行われ、いよいよ社殿の取り壊しが始まりました。
経費削減の為、なんと氏子の皆さんが解体をして下さるとの事で、重機、トラック各一台のみで約一週間かけて少しずつ解体作業が行われました。
取り壊されて行く社殿の姿を見ているのは寂しいですが、ガチャガチャと重機で乱暴にではなく、氏子さんの手で優しく取り壊されていく姿に「よかったね…愛情をもって作業してもらって…」とほっこりした気持ちにもなりました。
そして、氏子さん達も毎日の作業で相当お疲れの筈なのですが、作業中は活気に溢れ、怪我する事も無く無事に解体終える事が出来ました。
相変わらず、ひさしぶりの更新となり申し訳ありません(汗)
阿久津町町会では以前より田村神社の老朽化に伴う社殿建て替えの協議・計画が進められ、氏子の皆様のご理解と多大なるご協力により、去る3月5日17時より「仮殿遷座祭」が厳かに執り行われました。
遷座祭とは分かりやすく言うと「神様のお引っ越し」で、宮司含め9名の神職にご奉仕頂き、建築委員の方々、神社総代の方々そして氏子の皆様に見守られながら、白い布(絹垣キヌガキ)に覆われた神様が、夕暮れの中静かにお引っ越されました。
来年(平成29年)秋頃の完成予定ですので、それまでは仮社殿で神様をお祭りする事となりますが、鈴と鈴緒、社名額も氏子さんの手によって丁寧に設置され、立派な仮社殿となりました。
ちなみに、この2日前から次男がA型のインフルエンザになりましたが、幸いにも予防接種のお陰で普通の風邪と思う程度の軽~い症状で済みました。が…こんな大切な時期に…と泣きながら(?)看病し、予防接種をしていない私は、当然移る覚悟でおりましたが、安心して下さい…移りませんでした、家族の誰にも移りませんでした!本当に良かったと胸を撫で下ろしたのと同時に、自分の免疫力に驚きました(笑)
旧年中は大変お世話になりありがとうございました。
今年のお正月は例年になく暖かく年末から「お正月がくるっ!!」という焦りが全く無いまま迎えたお正月でした。
大晦日の23頃から翌2時頃まで宮司、神社総代さん、息子2人、頒布品(御守や縁起物)と共に神社に上がり、私はお宮の隣にテントを張り初詣のお客様をお迎えするのですが、この暖かさのせいか今年はお子さんを含め、初詣に見える方が多く感じられました。
元旦の朝も5時過ぎ頃から宮司と共に神社に上がっているのですが、8時頃になると宮司は各地区の元旦祭に出掛けてしまうので、その頃からは神社にポツンと私独り…とってもとっても寂しいのですが、今年は4年生の長男、3年生の次男、3才の長女(遊んでいるだけですが…)が応援に来てくれて、非常に心強く元旦のお仕事を終えることが出来ました。
2人のお兄ちゃんは大晦日も私達と一緒に神社に上がってくれていたのに、翌朝も8時頃から本当によく手伝ってくれてありがたく、頼もしい存在です。
そしてこの田村神社は建て替えの為、今年の3月に取り壊しが決まっており古いお宮で迎えるお正月はこれで最後という事もあり、大切に大切に時間を過ごしました…。
今年は神社建て替えという大事業もありますので、地域の方々のご協力を頂きながら地域と家庭を盛り上げる為、元気に頑張って参ります!本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今日は小学校の授業参観及び救命救急講習会、学年対抗の球技大会、そして有事の際の児童引渡し訓練でした。ここ数日は涼しい日が続いていたのに今日はとても蒸し暑く締め切った体育館は兎に角暑い…一週間前からバレーボールの練習をしていた父兄は、授業参観より球技大会の方がメインのような雰囲気(笑)
授業参観が終わりプールシーズンに向けた救命救急講習会では消防署員の指導の基、人形を使った心肺蘇生方、AEDの講習が行われました。私自身、こういった講習を受けるのは4回目ですが身に付けて損はないので、トップバッターでPTA会長である夫に見守られ大変にやり難い中(汗)実践させて頂きました(講師と目が合い指名されちゃっただけですが…)しかし、さすが4回目!慣れたモノで、比較的スムーズに行うことができましたが、実際に使う機会が無いことを切に願っています。
さて、それが終わると、お持ちかねの球技大会!
全校生徒100人に満たない当校では父兄のほとんどが球技大会の選手となり、毎年試合が行われるのです。
そして私も当然選手になり、今年は次男の学年で出場しました。結果は見事2位!優勝は惜しくも逃しましたが、クラス一体となって楽しく試合が出来、その後の引渡し訓練もスムーズに行われ、とても疲れましたが、充実した大満足な一日でした。
※そして何故、今回フォントが違うのか…私にもわかりません…。端末のせいかなぁ…。
パソコンを起ち上げるのが面倒で、ついついブログの更新や帳簿付けが滞りがでしたのでスマホ感覚で使えるタブレット端末をついに導入致しました!タブレットでの初投稿です!
漠然と電器屋さんに行き、タブレットでやりたいことを伝えると店員さんが丁寧にアドバイスをしてくれました。型落ちとのこともあって、お手頃価格で決めたのがこの端末。Windowsタブレット!スマホ感覚というかパソコン感覚で使えます。
子供たちは「ゲームできる!?」と…やっぱりそっちか…と思いつつ「ゲームはやらせないよ(ビッシ)」と伝えました。
まだまだ操作に不慣れで、タブレットを触っていると肩が凝りますが徐々にこのタブレットと仲良くなっていこうと思います。(タブレットでタブレットの写真が撮れず…写真無しの投稿です)
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、私の住む阿久津町は「阿久津曲がりネギ」が有名です。農家の方の手間と愛情でとっても柔らかくて、甘くて美味しい阿久津の曲がりネギ。そのネギの取材の為、2月の上旬まだ雪も残る寒い日にタレントのユージさんと大林素子さんが阿久津にいらっしゃいました。(関東圏のみの放送)
私達は全く知らずにおりましが、取材班が神社に上がったと連絡を頂いたので主人と共に野次馬根性で神社に行ってみると…なんて事でしょう!カメラを向けられてるではありませんかっ(驚)テレビに出られるような格好ではなく恥ずかしかったのですが、その場の雰囲気で主人は質問等に応えておりました。
その中で当神社境内の不思議な木を紹介させて頂きました。
写真は樹齢500年以上のケヤキで当社の御神木です。その他にも、下記写真左から(写真1)二本が寄り添いやがてくっついて一本の木になった杉の木。(写真2)枯れた木を包み込み支えている木。(写真3)階段の中腹にある幹の空洞の中で竹が生えている木。どれも生命力溢れる不思議な木なのです。
普段は無人の神社ではありますが、もし、ご参拝に来られた時は是非、この不思議な木々をご覧になってみてはいかがでしょうか。
(写真1) (写真2) (写真3)
阿久津町では1班~11班に分かれているのですが、その班ごとで毎年この時期は班の総会を兼ねた新年会が大半の班で行われます。もちろん、うちの班も例外ではありません!
出席するのは、各家庭から1名と言うのが通例で昨年までは母が出席しておりましたが、今年は都合が悪いという事で私が出席して参りました。
会場は三春町にある温泉宿。私は少し風邪気味でしたのでお風呂に入るのは遠慮させて頂きました(残念!)
私以外の出席者は皆さんは私の親世代の方々ですが、タブレット端末の話や「阿久津曲がりネギ」のテレビ取材がちょこちょこ来ている話、また、その裏話…昔は「蚕様」で活気付いていた話等、昔から今に至るまでの阿久津の様子等を沢山話して頂いて、とっても勉強になったし、大変に楽しく過ごす事ができました。
世代交代で段々と年配の方が引退される中、貴重な経験や体験、知恵など教えてもらわなくてはいけない事がまだまだ沢山!これからも、世代は違うけれど同じ阿久津町に住んで地元を愛する大先輩の方々に話を聞く機会がある時はどんどん参加し、私も地元愛をもっともっと深めたいと思いました。
1月30日、朝から降り出した雪がみるみる間に積もり始めたので、出掛ける前にザッと家の周りの雪を掃き午後、外出から帰ったら午前中の雪掃きの跡形は何処にも無く(泣)…子ども達が学校から帰ってきたのを見計らって、15時頃に再度雪掻きに出ました…。片づけても、片づけても、片づけてもドンドン積もる雪に次男はかまくらを作り、長男はママダンプでソリ遊び…私は黙々と雪と闘っておりました。辺りが暗くなり始めた17時頃、長男が手伝いに戻ってくれ、私と同じペースで一生懸命作業をしてくれたので大助かりの私。そしてとっぷり日も暮れて、敷地内の雪が何とか片づいた(まだ積もり続けていたけど)ので次は家敷地周辺の雪掻き…ぐったりと疲れた長男を帰して、道路に出ると我が家の方まで雪を片づけてくれている近所さんの姿が!何と言って良いのか…本当に助かりました、4時間近く自宅の雪を片づけていた私ですが、それだけで元気が出て残りの分一緒に作業させてもらったら、あっという間に終わる事が出来ました。「感謝」のひと言です。
翌日は、外に出たくてうずうずしていた子ども達と、いざ外へ!!!!
夫も加勢し、夕べ次男が作っていたかまくらがみるみる間に大きくなり、子供三人収容できる大きさになりました。私も(筋肉痛だけど)滑り台を(写真右)作りました!
去る1月18日(日)阿久津町会新春のつどいが行われました。
午前11時前から集会所の駐車場で臼と杵を使っての餅つき大会があったのですが、我が家の面々は出掛けるのが遅くなり、残念ながら餅つきを体験することが出来ず、息子達は残念そうでした。でも、つきたてのきな粉餅を頬張り、残念そうな顔も一変満面の笑みに変わったところで、集会所の中へ移動して乾杯を皮切りに宴会が始まりました。
阿久津町特産のブランドねぎ「阿久津曲がりねぎ」がいっぱい入った豚汁が美味しくて、お腹もいっぱいになった子供達は当然大人しくしている訳もなく…廊下で遊び始めました、子供が少なくなっている阿久津地域ですので、子供の楽しそうな声に年配の方々には微笑ましく見守って頂き、また、小学校も全校生徒97名と少ないのですが、その少なさを逆手に取った「縦割り班(1年生~6年生で班を作る)」という班の編制があるお陰で「上の子は下の子の面倒を見る」と小学校で自然に教えられている阿久津の子供達は、我が家のチビ娘(2歳)の面倒を見ながら仲良く遊んでくれている姿に関心させられました。お陰で、親である私達は安心してゆっくり宴会に参加する事ができたのでした。
普段話すことの少ない地域の方、同じ世代の子供を持つお父さんやお母さん方と楽しく話したり情報交換が出来る絶好の機会の「新年のつどい」、郡山市長や市議会議員の方も駆けてご挨拶を頂き、とてもめでたく、また充実した時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。
ご無沙汰して申し訳ありません。嫁ブログを更新せねばと思いつつ、とうとう平成27年を迎えてしまいました。
今年は余り気取らず、神社のことから子育てのこと、何てことのない日常等ですが、こまめに更新が出来るように心がけたいと思いますので、どうかお付き合い頂ければ嬉しく思います。
改めまして、あけましておめでとうございます、皆様はどのようなお正月を迎えられましたでしょうか。
我が家の年末年始は歳神様とお客様を迎える準備の為、大掃除をして、おせち料理を作って…って訳にはいかず毎年の事ながら「もっと、早く準備をしておけば良かったっ…」と後悔をしながら、あれこれバタバタとしているうちに何とか大晦日とお正月を迎えるのであります。という事もあって、我が家の子ども達は「おせち料理」を知りません…。学期末に次男に出された宿題「お正月さんがいらしたぞ」の詩の中に「きんとん」のフレーズが出てきて、次男に「キントン?って何?」と問いかけられハッとさせられ、既製品ですが栗きんとんを買ったり、おせち料理に入る食材の意味などを教えてみました。
子供に伝統を教えるのは親の役目ですし、責任と思っております。今後も出来るだけ日本の伝統に触れさせ親子共々、日本の良き伝統や文化を学んで行きたいと思います。
そして、毎年田村神社で氏子の皆様と一緒に大晦日~新年を迎えていた私ですが、今年はなんと!!!
出掛けに娘(2歳)が体調を崩し、やむを得ず私は自宅待機組となり10年ぶりに暖かい部屋でゆく年くる年を見ながら新年を迎える事になりました。そして私の代わりに神社に上がってくれた2人の息子(小3、小2)の成長と逞しさを感じることが出来ました。
早朝も娘の具合で私は神社に行くことが出来ず、写真は一人寂しく出掛けて行った宮司が撮影した「田村神社から見る初日の出」でございます。
今年が皆様にとって素晴らしい年になるようお祈りし、平成27年初めのブログと致します。本年もどうぞよろしくお願い致します。
あの大雪から半月以上過ぎ、各所に積もっていた雪のほとんどが日陰等を除き、すっかり溶け地面が顔を出しました。そして、我が家では雪が溶けて色々な物が出て参りました。
その1 雪に埋もれていた我が家(合祭殿)への道案内看板
その2 前々回の根雪を壊す為に私が出したバール(片づけ忘れて埋もれていた)
その3 子供達がちらかしたスコップやバケツ
その4 雪と共にすくわれた石達
その5 雪遊びの途中に紛失した子供の長靴の部品
その6 豆撒きの時の豆
その7 雪の重みで折れた枝や吹雪で飛んだ葉っぱ達
その8 あれだけ降り積もった雪の下で着々と春の訪れを待っていた水仙の芽…
その7は当然ながら木々が多い神社でも大きめの枝が折れ、あちらこちらに落ちていました。幸いにもお宮や御神木は無事でしたが、今回もまた自然の猛威をそして、その8では小さいながらも力強く芽を出していた水仙の逞しさを感じました。春は着実にそこまで来ているのですね。
14日から降り続いた雪が15日の夕方には50センチ以上の積雪を記録し、我が家もそして阿久津町全体が孤立寸前の状態になりました。
ある程度庭の除雪を済ませてから、我が家の車(前輪駆動の軽自動車)でお昼頃に年祭の奉仕の為外出したのですが帰り道で立ち往生してしまい、幸い近所だったので近くの方に助けて頂いていた最中にも次々と動けなくなる車が続出し、その場に居合わせた方々で吹雪の中救出をするという事態になりました。
我が家の車も脱出後は結局自宅にはたどり着けず近所の商店に車を置かせて貰いやっと帰宅してその後は、雪かき…雪かき…雪かき…ひたすら雪かき…でした。
翌日(16日)は3件予定していた地鎮祭が全て延期になり予定の無くなった我が家では総出で雪かき…雪かき…雪かき…。私は午前中集会所のお掃除があり、その駐車場も雪だらけ~と覚悟して行ったら農家の方がトラクターで除雪をしてくれているではありませんか!!凄い!手際も良くどんどん雪が寄せられて行きます。そして地域の方々も道路の雪かきをしており午後には車が通れるまでになっておりました。
午後からは気掛かりだった神社の様子を見に行って参りましたが、雪深い、とっても雪深い…細い木が何本か雪の重みで折れていたものの被害は無く一安心です。そして、神社下の道では雪解け水が排水されずに冠水しておりました。排水の為、雪かきを試みた近所の方は「車がスピード出して通過するから、全身水浸しになっちまうんだ…止めちまった…」と言っておりました。
雪が止んだからと言っても、あちらこちらで影響が出ているようです。市内の小中学校も明日の月曜日は安全な通学路が確保できないという事から臨時休校となりました。大人の皆様は明日は通常通りの出勤の方が多いと思いますが、足元にくれぐれも気を付けてお出かけ頂ければと思います。
ちなみに、宮司と私の手には「マメ」が出来ました…もう雪は懲り懲りです…。春よ来い、早く来い…。
※写真は左から
「雪で垂れ下がった竹」 「集会所の除雪作業」 「冠水した道路」 「雪深い田村神社」です。
今日(2月3日)は本当に暖かく昼間は15℃と小春日和でした。このまま春になるのでしょうか、、、いえいえそんな訳もなく、明日からまた冷え込むとの事で皆様も体調管理に気を付けて頂きたいと思います。
今シーズンはどうした事か、雪がほとんど降らずお正月も穏やかな気候に恵まれ、無事に新年を迎える事ができましたが、ついに数週間前に降雪の予報が出ていたので前シーズンに壊れてしまった、雪かき用プッシャーをいそいそと2本購入致しました。少々お高いのですが、柄の部分に角度が付いていてとても力が入れやすいタイプ。「よし、これで雪、いつでも来いっ。」と準備万端にしていたのにも係わらず、予報は一転…あれ?雪マークが無くなっている…それ以来、新品のプッシャーは未だに出番がありません…まさにフライングゲット!?
そんな事をしているうちに、とうとう節分になりました。季節は春となります。
皆様も「豆まき」されましたか?我が家でも毎年、宮司と息子二人が家中に豆を撒いて回りますが、今年は私が年女(年齢はご想像にお任せします)なので、一緒に豆撒きをさせて頂きました。
息子達は鬼の的を各部屋に貼りそれをめがけて豆を投げつけ退治しておりましたが徐々にエキサイティングして家中豆だらけ…掃除をしてもどこからともなく豆が現れるのでした。
その後は、最近ではすっかり定着した「恵方巻」ですが、我が家では恵方に拘る事無く、普通に切って美味しく頂きました。そして体が残った「鰯」は梅風味の天ぷらにして頂きました。
相変わらず忘れた頃のブログ更新となりました(汗)が、今年もよろしくお願い致します。
4月に入り、やっと暖かくなって来たかなと思うと寒の戻りがあったりで本格的な春を感じるのはもう少し先かなと思いつつも、今年も春祭りのシーズンとなりました。
4月7日(日)前日から全国的に低気圧に見舞われ、この日も天気は荒れ模様。強い風と雨が降る中午前中は安原町、そして午後からは地元阿久津町の春祭り、この牧歌的な風景の中に鎮座する八幡神社にて特殊神事の「お湯立神事」が行われましたが、肌寒く、雨が降りしきりまた遠くから雷鳴が聞こえるこの悪天候の中でも、氏子の皆様が泥だらけになり、境内の掃除をして火を炊き、湯を沸かし準備をして下さり、滞りなく神事を行い、今年の五穀豊穣を祈願する事が出来たことを心より感謝致します。
そして…私ごとで恐縮ですが、先月は震災の年に入園した次男が無事に卒園式を迎える事が出来、また4月8日(月)には強風が吹く中でしたが、めでたく小学校へ入学する事が出来ました。「我慢」を強いられる事が多かった幼稚園生活、子供の体力の低下が問題になっている福島県。しかし国、自治体、地域、個人の努力もあって学校は基より個人宅の除汚も徐々に進むに連れて放射線量も下がり、現在では十分に外活動が出来る環境になりつつあると(個人的に)思っておりますので、息子達には外でいっぱい運動して、いっぱい勉強して、楽しい小学校生活を送って欲しいと思っております。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。皆様、どのような年末年始を過ごされましたか?我が家が忙しいのは当然の事なのですが、毎年思うことは「来年こそは、もっと早めに準備を始めよう…」です(^^;)そして、今回の大晦日は更に驚きのトラブルに見舞われてんやわんやの年越しとなりました。
31日の朝、敷地のコンクリートの地面が濡れている事に気付いた宮司…昨晩まで雨が降っていたので一瞬そのせいかと思ったらしいのですが、何か違う…と家の壁と地面の境目に目をやると水が湧き出ているではありませんか!こ、こ、こ、これは!!!!!はい、天然の湧き水ではありません、素人の私達が見ても「水道管が破裂した」と解る状況、水道メーターはグルグル回り、慌てて元栓を止めるも、一体何時から漏れていたのだろう(泣)元栓を止めているせいで、家中の水が使えずホトホト困ってしまいました。しかもなんで大晦日にっ!?業者は当然休業しており、途方に暮れる一方でしたが、非常識を承知で我が家を建設をした際にお世話になった方の自宅にまで電話を入れさせて頂きました処、大晦日にも係わらず業者の方を連れ、その方は来て下さったのですっ!そして、寒空の中日が暮れるまで応急処置をして下さり、不自由を無くして頂きました。本当に本当に助かりました、なんとお礼を申していいものやら感謝、感謝、感謝の気持ちでいっぱいです。
水道が使えない間は近所の方には「いつでもウチのトイレや水道使っていいからないっ!」と言って頂いたり、人の温かさを感じた年末でした。そんな年越しでしたが今回の年末年始は天候には恵まれ穏やかなお正月でした。
三が日、宮司は各地区の新年祭に御奉仕し、2月3日までは個人宅や会社の新年祭、厄除け、方位除け(八方塞、鬼門、病門)等のお祓い、どんと祭りなどで忙しくも充実した日々を過ごす我が家です。
1月も既に下旬ではございますが、今年が皆様にとりまして幸せいっぱいの輝かしい一年になりますようにお祈りし、新年初の嫁ブログとさせて頂きます。本年もお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。
12月2日(日)午前9時よりに旧岩江村・旧小泉村内の氏子の皆様に歳神様(としがみさま)を頒布するお祭り「大麻頒布式(たいまはんぷしき)」が宮司宅で行われました。
歳神様というのは伊勢神宮からくる、神棚のお宮の中に入れるお札「天照大神」と歳神様(お正月様)新しい年をもたらし、万物の生成を司る下記の神さまたちの総称です。
1、[大年神・御年神・若年神]=年神様(五穀豊穣、諸産業発展)
2、[大國主大神・言代主大神]=大黒様・恵比寿様(家内安全、商売繁盛)
3、[火武主比神(火産霊神)・奥都比古神・奥都比賣神]=火の神
(火の働きを統御し、管理する神様。田の神、家の神)
また、歳越大祓「歳越鎮火招福大祓守護」神札というお札もあり、家庭の防火守護を願うと共に、知らずに受けた罪や穢れを祓い、災厄を除く年末行事の神札なのです。
そのような歳神様を受けるため雪が舞う中、各地区より代表の方々にお越し頂きお祭りに参列して頂きました。
実は歳神様はここにたどり着くまで、何度もお祓い・お清めを重ね各地区の総代さんや代表の方々のご協力を得て、皆様の手元に届くのです。毎年の事ながら大変な役を引き受けて下さる総代さんや代表の方々には心より感謝致しております。
私も、このお祭りに参列すること今回で8回目…総代さん達のお顔やお名前も徐々に覚え、又、覚えて頂き娘をおんぶしながらと云う失礼な格好にも関わらず「赤ちゃん、大きくなったね~」や「いやぁ~可愛いこと~」と言って娘をあやして下さったりと、本当に良くして頂いて私や私の家族は本当に幸せです…。私も皆さんに幸せな気持ちになって貰えるよう、笑顔で忙しくなる年末年始ですが、頑張って行きたいと思いますっ!
去る11月23日は一般的には「勤労感謝の日」でしたが以前は「新嘗祭(にいなめさい)/新穀感謝祭(しんこくかんしゃさい)」といって農作物に感謝する日でした。現在でもこの辺りでは指定村社と呼ばれた神社で新嘗祭が行われております。
宮中では深夜にわたるお祭りが奉仕され天皇陛下御自ら日本の神々に新穀をお供えし、ご自分もお召し上がりになられます。
そんな11月23日ですが、当社でも午後12時より新嘗祭が執り行われ約20名程の氏子さん達が参列し、直会には朝から役員の奥様方に手伝って頂き境内で煮たけんちん汁と新米で握ったおにぎりが振る舞われました。大きな羽釜と薪で煮るけんちん汁に寒さも加わり何よりのご馳走となりました!
そしてこの日は舞木の直毘神社と白岩の御嶽神社でもお祭りが行われ、農作物への感謝の気持ちが捧げられました。
写真はお祭りの様子ではなく、完成間近のけんちん汁です(^_^;)
長女を出産して、早いもので半年が過ぎました。娘はお会いするほとんどの方から「あらぁ~大きいわね~、プクプクしてるわぁ~、ほっぺが落ちそう!」と言って頂けるくらい、順調にすくすく成長しております。相変わらずバタバタと3人の子供達に振り回される日々ですが、少しずつブログを再開したいと思っております、今後ともお付き合いの程よろしくお願い致します。
さて、秋もすっかり深まり我が家の敷地に鎮座する「お稲荷さん」の周りに立ち並ぶ木々達が今年も素晴らしい紅葉を見せてくれました。遠くから見るのも素敵ですが私は下から見上げる、赤、黄、緑、そして鳥居の朱…「和」の雰囲気にとても癒され、深呼吸をすると力が涌いてきます。ちょっと今風に言うと「パワースポット」というところでしょうか。
それも昨日の強風で銀杏の葉は落ち、ちょっと寂しく思って居たところでしたが下を見れば、あら素敵!今度は黄色の絨毯の様!黄色の地面にお稲荷さんの朱が映えること、映えること、自然って本当に素晴らしいと改めた思った秋の日でした。
予定日より2日遅れた今月17日、無事に元気な長女(第3子)を出産することが出来ました。
嫁は今、産後休暇中!!と言っても赤ちゃんと上の子供達に振り回されておりますが。私も二人の息子達の世話?に追われ四苦八苦しておりますが、体調が復活しましたら又お付き合い下さい。(宮司)
昨日の話題で申し訳ありませんが、去る5月12日は待ちに待った小学校の運動会でした!1年生の長男は、声が大きい事から4名で行う「開会宣言」の1人を仰せつかり、GW前から自宅で一生懸命練習し本番を迎えました。私もこの大きなお腹を抱えなんとか長男の晴れ姿を見ることが出来ました。普段はちょっと遠慮がちの長男、上手に出来るか見ているこちらが緊張致しましたが、親の心配を余所に立派に開会宣言をしている長男の姿に感激してしまい私の目がウルウルしてしまいました。
競技で一等賞を取れなかった長男は自宅に帰るや否や悔しさの余り、涙をこぼしていましたが、私にとっては結果や勝ち負けより何より、初めての大舞台、初めての運動会を精一杯頑張った長男を一等賞よりもずっと、ずっと誇らしく感じ、長男を抱きしめました。
郡山市のほとんどの小学校では放射線の不安により今年は午前中のみ、しかも徒競走以外は体育館で競技を行う方式となっている様で、少々、物足りないような感じのする運動会でした。
改めて一日でも早く震災前の生活を取り戻したいと強く思いました。
最近のブログを見ると、神社の事とは関係のない「私事」及び「子育て」ブログのようになっていますね、申し訳ありません(汗)少々お見苦しい点があるかとは存じますが、今後ともどうかお付き合い下さいませ。
各地で被害をもたらしたGWの大雨、皆さんのお住まいの地域は大丈夫だったでしょうか?
最近の異常気象や多発する地震に自然の力を思い知るこの頃。まさに日本古来の人々が、自然を敬い、その年の五穀豊穣を氏神様(その土地の神々)に祈念してきた「自然神信仰」の念を身をもって感じている次第です。
我が家から見える「阿武隈川」も増水し4日のam3:00頃には5.33mもの水位を観測したようで、地元の消防団の方々が警戒をして下さっていました。昼夜問わず火事や大雨、有事の際は地元の為にいち早く現場に行き活動にあたって下さる地元消防団、またその中には幼子を抱えた若いパパさんや新婚さんなどもいらっしゃり、特に夜に危険な現場へ送り出し帰りを待つ奥様方の心労もいかばかりか…双方に感謝致しております。
4月も後半へ突入致しました、各地の春祭りも無事に終了致しました。お世話になった氏子の皆様に感謝致します。
すっかり春めいたこの頃、自宅の坂から見える風景「青空と桜と鯉のぼり」のコラボレーション!風を全身に受けて泳ぐ鯉のぼり達は、勇ましくて良いものですね。姉妹の中で育った私は鯉のぼりが自宅にある事が嬉しくて、ちょっぴりワクワクしてしまいます。
眺めは素敵な我が家の坂ですが、臨月を迎えている私の体に上り坂は正直ツライ!大抵の場合は5合目と8合目で力尽き、一休み…やっとの思いで上っているこの頃でした。(余談でした)
数日前からは、恒例のツバメ達もいらっしゃいました、朝早くから元気よく飛び回り時には玄関に迷い込み、時にはベランダに糞を落とし…掃除をしてベランダが綺麗になる…。トホホ…でも、幸運も舞い込むとの事ですし、タマゴが孵って雛がピーチク、パーチクすると愛情?も湧き可愛いと思いますので、微笑ましく見守る事と致します。
4月も中旬になり、ようやくホッコリ暖かい日が増えて参りました。長男も小学校入学式を迎え週の後半には疲れから体調を崩すも何とか一週間登校する事が出来ました。送迎バスのある幼稚園とは違い、徒歩での登下校。この一週間は保護者が途中まで送り迎えしましたが、来週からは子供達だけでの登下校が始まります。防犯ベルが支給され、ネームを外しての登下校、そして車が増えた世の中、危険がいっぱい…私としてはドキドキハラハラ不安で仕方ありませんが、子供の危険回避能力を信じて通わせるしかありませんよね。
登下校の送り迎えの際に、梅の花の香りを感じ、空き地一面に咲くオオイヌノフグリ、土手には土筆が顔を出し、すっかり春本番となりました。昨年の春は、不安の中マスクを着用させながら幼稚園に通わせたものです、梅や桜の花も愛でる余裕も無く過ぎ去ってしまった事もあり、今年は当たり前に「春」を感じるているせいか、心が弾みます。
本日から4月です、朝方は寒かったものの日が昇るにつれて日差しが暖かく春を感じていたのですが午後には太陽が雲に隠され風も吹き始め、一気に寒くなり夕方には雪まで降り始めました。
そんな中、4月の第一日曜日の今日は10時より兼務させて頂いている安原町の三渡神社、また12時30分より阿久津町の八幡神社の春祭りが行われました。お祭りの度に私は宮司の送迎をさせて頂いておりますが、その度に各地区の氏子さん達に暖かく迎え入れて頂き、わずかな時間ですが私まで楽しく直会に参加させて頂く事がよくあります。
本日安原の三渡神社では宮司が挨拶の際に5月に第三子が生まれる事を告げたとの事で、私がお宮に到着するや否や「いがったないっ!おめでとうないっ!」と皆さんに声をかけて頂き、大きくなったお腹を撫で撫でして頂きました(*^_^*)…こんなに祝福され私たちは本当に幸せ者だな…と、つくづく感じた瞬間でした。
午後からは地元の阿久津町の奥まった場所に鎮座する八幡神社の春季例祭でとっても珍しい神事「お湯立神事」が行われました。
私も初めて見たときは唖然呆然…こんなお祭りあったんだ…熱湯に向かう宮司(主人)が私の知っている宮司では無く、別人のように見えた瞬間でした。自分の住む地域にこの様なお祭りがある事を誇りに思います。
本日は冒頭で書かせて頂いたように午後から天候が急転し、お湯立て神事が終わるのを待っていたかのように、強い風が吹き始め気温がグッと下がりました。不意打ち(?)を食らった私たちは寒さで直会も程々に撤収へと急いだのでありました。が、帰宅しても何故か寒い…体の芯から寒い…ちょっと頭痛もする…まさか…あぁ、やっぱり…微熱が…。今夜は暖かくして早く休む事にします!
前回ブログを更新してから、随分とご無沙汰してしまい申し訳ありませんでした。
あれから何度か雪が降り寒い日が続きましたが最近ではやっと暖かくなって参りました。
地面にはオオイヌノフグリが咲き、上を見上げれば梅の蕾も膨らみ、そして恒例の「くしゃみ」で春の訪れを感じるのでした。
今日は特に暖かく、先日購入した「いちご」の苗2株をプランターに植えました。そして震災以来なかなか外遊びが出来ない子供達をお庭に連れ出し、長男の補助輪なしでの自転車練習を開始してみました。何度もトライするものの数秒で右側に倒れて行く長男…あげく倒れた自転車で足を引いてしまい「イタイ…」と言って怖ず怖ずと家の中へ入って行ってしまいました。コツを掴むにはもう暫くかかりそうですので、気長に根気よく練習を続けようと思います!がんばれ長男っ!
そして、外遊びから帰ったら体の砂埃を払い、手洗い、うがいを徹底している福島っ子。「バイキンさん」だけを心配していた頃が懐かしく思えるこの頃です。
さて、先日宮司が第62回神宮式年遷宮上棟祭に随行参列の為に伊勢神宮へ行って参りました。
伊勢神宮と言えば銘菓の「赤福」いまだに伊勢参りへ行った事に無い私の為(?)に、お土産を買って来てくれました。何時かは、いや、是非、遷宮の期間中に伊勢参りに行ってみたいと、赤福を頬張りながら思う私なのでした。
昨日は久しぶりに暖かく、この調子で春にまっしぐら~と勝手に思っていたら甘かったです…今日は午後から一転して雪が降り続き、夕方には一度雪かきをしたにも関わらず、現在では更に5センチ程の雪が降り積もり、明日の朝の事を考え宮司が雪かきの為に出かけて行きました。
そんな外の様子を見てみると木の枝にも雪が降り積もり、まるで花を咲かせているようです。街灯にライトアップされた庭の桜の木、雪が積もりまるで桜が満開に咲いているようでとても綺麗です。桜の花も待ち遠しいけれど雪の花もなかなか素敵なものですね。と、視線を移すと黙々と雪と闘う宮司と降り続く雪が目に飛び込んで来るのでした。
目覚ましの音で目を覚まし、お布団の中からでも分かる外の静けさ。雪の降る地域の方ならお解りと思いますが、雪が周囲の音を吸収し雪の日はとても静かなのです。
喜ぶ子供達、一方大人は…あぁ、雪掃きだぁ~。朝食を終えた主人(宮司)はジャンパーを着込んでいざ雪掃きへ…本日の積雪はざっと3センチというところですので30分もかからず、鼻の頭を赤くして帰還。と、外を見ると止む気配の無い雪に3時間後またジャンパーを着込んで2回目の雪掃きへ出て行きました。ちなみに私は身重でして、今年は戦力外通告されているので力になれず雪の日は申し訳なさでいっぱいなのでした。 写真の小さな人影は雪掃きに勤しむ宮司です!(がんばれー!!応援しかできません…。)
旧暦初午の前夜、「宵宮祭」が行われました。近年では珍しく2月中しかも今年は特に寒い冬になっている為か、恐らく零度を下回る寒空の下のお祭りでした。それにも関わらず約20名の氏子・崇敬者の方が参列されました。
日没後の18時から、蝋燭の灯火と小さな裸電球に照らし出されるお稲荷様はいつもとちょっと違う神秘的な表情が伺え、寒さを忘れてしまう程。私はこのお祭りが大好きなのですが、昨年の初午祭は大震災後の3月15日で冷たい小雨の振る中不安と悲しみ切なさの中でほんの一部の近親者のみで行いました。今年は昨年の事を思い出し、まだまだ癒えない傷が一日でも早く癒されますよう祈りながら参列しました。
ブログをよく見てみましたら、担当が私(宮司・妻)になっており驚きました。そこで、ちょっと私の事を書かせて頂きます。
約7年前、一般のサラリーマン家庭そして一般企業にのほ~んと勤務していた環境から、宮司である主人の元に嫁いで参りました。正直、神社の事は右も左も分からぬまま、ある意味「勢い」に任せこの世界に足を踏み入れました。何も分からぬ私に、氏子さん、宮司、母等、周りの皆様に支えられ何とか本日まで「神社の嫁」を努めてさせて頂いております。感謝の限りです、まだまだな私ですが、皆様が気持ちよく当社に来社して頂けるよう邁進して参りますので今後とも宜しくお願い致します!
初めまして、福島県郡山市の東部に位置する阿久津町に鎮座する小さなお宮「田村神社」でございます。時代の流れに押され大変に遅ればせ乍ら、ホームページとブログを開設する事と相成りました。不慣れな事ばかりで見難い部分も多々ございますが、この機会を大切にホームページの運営に努めて参りますので、末永く宜しくお願い致します、まずはご挨拶まで。(担当:宮司婦人)